この言葉は独哲学者キルケゴールの有名な言葉の一つです。
ひとり一人の絶望の対象は違います。具体的な身近な人物や、属する集団や組織を指すかもしれませんし、犠牲者が量産された事件を通した世相または、社会全体を指すかもしれません。
私たちが取り上げる現状やデータは自然科学・数学とは違い、社会科学的な事象と数値の一つであることから、「私はそう思わない」「あなたの意見(感想)に過ぎない」という声が上がっても仕方がありません。
しかし、この自己実現の実現化を目指す場づくりと働きかけを展開するサイトでTOPの次にCrisisを配置する意味はこう考えることにあります。
「来年から良くなるだろう」
「これから良くなるだろう」
こういった楽観から具体策が編み出されることはありません。
主宰自身は悲観的人物ではありません。現状把握しようと努めた着地として、現状を悲観してみることが現状の打破への第一歩であるという立場を採っているだけです。
経済の成長が社会の成熟にシフトしてから十数年以上経過しますが、その成熟は、私たちの意識が成熟したことを現わすのではなく、ひとり一人の意欲を削ぎ続けたことを別の言葉で言い換えたに過ぎません。
about Youでは、「絶望」の対象は「現状全般」を指し、現状を打破する出発点こそ、絶望するという態度であり、「対案」が産まれていくことを期待したいことから個人・事業・社会を取り巻く危機を紹介します。
人生には、違いがあることで産まれる醍醐味がありますが、私たちは社会的動物として、事業と社会との関係性のなかである逆風に晒されます。その逆風を、about Youではこう表します。
私たちはこの世に生を受けてから、過去と実績を評価するやり方に晒されます。
さらに、見えないものを可視化したいというニーズ、または欲のもと可視化されたあなたの価値も他者の評価の対象となっています。
この仕組みの下、「評価を上げたい」「新しいことに取り組みたい」といったあなたの無邪気な挑戦は他者が設けた基準に達しなかった、あるいは下回ったことから阻まれることになります。
この情勢は、個人的体験に留まらず、多くの調査によって既に課題化された危機として捉えられています。
①従事者の大多数が、「あなたは私の言うことを聞きなさい。その代わり得るのは対価です」とたとえられる組織の論理のもと、能力や才能を発揮できない現状に不満を抱いていること。
②国内の産業構造が、閉塞感に覆われていること。
業界問わず、事業・組織は、2つの危機に直面しています。
あらゆる事業が「家業」に留まる限り、従事者は組織の論理のもと仕方なく「家長」または「家長に従う者」に仕えますが、事業と従事者の関係性において、彼に備わる価値・志・自己実現より「家業」は小さく留まるため、意欲の低下に歯止めがかかることはありません。
この関係性を明るくするために、事業を運営する組織に向けられる従事者の忠誠または貢献の方向性を、彼らの自己実現の方向性-すなはち
に舵替えを図らない限り、エンゲージメントスコアが壊滅的な生産性は上がらないという立場を採ります。
about Youは、特定の業界に留まるアジェンダ設定をしておりませんが、個人の自己実現の実現化を通した切り口から、従事者ひとり一人の活性化を図るマネジメントと業界の課題に肉薄するマーケティングの開発に携わりたいと考えています。
開発行為に手間取り、プロモーションまで手が届きませんでしたが、メニューを展開することを通して自己実現の射程距離を延ばす以上、組織課題へのかかわりを通して、従事者の能力・才能の発揮と産業構造を覆う閉塞感の打破につなげたく考えています。
自己実現の射程距離を延ばそうとする試みは、
あなたの事業の射程距離を延ばす試みにもなります。
事業を取り巻く危機への場づくり・働きかけについてはBusiness Menu内に紹介しています。詳しくご覧ください。
社会に身を置く私たちを覆い、私たちが直面する危機は過去から続き、現在においても進行形であることから、手に取るように分かるものではないかもしれませんが、確実に私たちを蝕み、私たちに備わる価値を汚染しています。
私たちが直面する危機は大きく2つあります。
「アナタとワタシ」この2人は、人として対等の関係にあります。互いに独立し、尊重し合い、助け合います。ときには嫌い、憎しみ、離れることも可能です。
関係が良好か、良好でないにかかわらず、単位や大きさとして同じであることから「対等」の関係にあります。
一方、社会とアナタとの関係は、対等とは言い切れません。「社会の一員」という言葉からも、「集合と個」「多勢に無勢」という力関係があります。
一人ひとりには権利があり、幸せになる権利もあることから、多勢に無勢とはいっても、権利を侵す者には一定の制限がかかります。
この「集合対個」の関係性における危機として、容易に抵抗できない力が働いていることを取り上げます。この力は「構造的暴力」と既に言い換えられています。
「失われた30年」とたとえられる成長の停滞は、30年前から見た既に起こった未来であり、現在の延長に未来がある関係から、受動的に待ち受ける未来は「失われ続けて60年」です。
この先の30年間で挑戦と成長が出来る一定の方がいる一方、構造的暴力が横たわる仕組みの下で、失われ続けすり減って無くなるのは一人ひとりの自己実現です。
「社会の成熟」は私たちを取り巻く関係や環境が充実している様を指しますが、構造的暴力に覆われている社会は成熟した社会ではありません。
社会の停滞は、私たちにダメージを与え、ダメージが蓄積する私たちは、衰退の一途を辿ります。
国際政治学および平和学の概念の一つとして、暴力行為を誘発する原因が明確な個人や集団に特定できない社会構造を原因とする暴力の形態とされます。
暴力の形態には物理的なものから心理的なもの、行為主体が個人に特定可能なものから集団的なものと分けられる中で、行為主体が不明確であり、間接的・潜在的にふりかかる暴力の形態は構造的暴力と呼ばれ、貧困・飢餓・抑圧・差別・愚民政策などがこれに当たります。(wikipedia)
2017年から自己実現の研究を重ねてきたところ、出会った方の一人からフィードバックを受けました。
私は、初めてその言葉を聞いたことから、何を指すのかその方に簡単にお伺いし、検索してみました。
マスメディアが一切と言ってよいほど取り上げないテーマであり、主体が特定の個人でないところに、容易に近づけない領域です。
「危機感」に「構造的暴力」を配置した理由は、ひとり一人に備わる自己実現の実現化を阻むものが言語化されているからです。しかし、個人活動またはビジネスにおいて、場面に応じたケアをすることはあっても、
にまで手を掛けようとする動きは難易度が高く、手を付けられていません。
誰もが成長や自己実現を遂げることは叶わないかもしれませんが、向こう30年を現在進行形で過ごす私たちが危機に直面したニーズを抱くことから、あらゆるサービス・ビジネスは構造的暴力の下にあるニーズに対応したサービス開発を目指すべきと考えます。
about Youは、手づくりでは「社会解決事務局群の設立・展開」「解決案・代替案・救済案のコーディネート」を起案し、プロセスの実装として「自己実現プラットフォームの案件化」の着手を主張をすることにしています。